投資の世界で、なぜ人は「皆が信じているもの」を信じてしまうのか
投資の世界では、次のような判断が繰り返されます。
- 多くの人が買っているから安心に見える
- 高値で取引されているから価値があるように感じる
- 説明しやすく、形のあるものほど信じやすい
一方で、
- 効果がすぐに見えないもの
- 数値化しにくい価値
- 抽象的で説明が難しい概念
こうしたものは、軽視されがちです。
これは情報量の問題というより、
人間の価値判断の癖によるもの近いと思います。
そしてこの癖は、現代に限った話ではありません。
タルムードに語られる、エイブラハムの原点

ユダヤ思想の根幹を成す タルムード には、
族長エイブラハムの少年時代に関する寓話が伝えられています。
エイブラハムは、
現在のイラクにあたるチグリス・ユーフラテス川流域、
メソポタミアの地に生まれました。
彼の両親は、
銅や土、木などを用いて神々の像――いわゆる偶像――を作り、
それを生業としていました。
当時のその土地は多神教社会であり、
人々は形ある神を崇め、
高額な対価を払って偶像を買い求めていました。
しかしエイブラハムは、
どうしてもこの光景に納得がいきませんでした。
「なぜ神は、こんなにも多くの形を持つのか」
「なぜ人が作った像を、人は神として拝むのか」
「もしそれが神なら、作った人間が最も利益を得るのではないか」
彼はこれらの疑問を抱き続け、
やがて両親とも激しく衝突するようになります。
偶像破壊──価格と価値への疑問

ある日、父から店番を任されたエイブラハムは、
店に並べられていた偶像をすべて叩き壊しました。
帰宅した父は激怒します。
「なんということをしたのだ!」
それに対し、エイブラハムはこう問い返します。
「人々は、あなたが作った彫像を神だと思って拝んでいます。
しかし神とは、本来、人が作れるものなのでしょうか。
形のあるものを拝むことに、本当に意味があるのでしょうか」
結果としてエイブラハムは勘当され、
故郷を追われることになります。
「レハ・レハ」──見えないものを信じて進め

故郷を離れ、西へと旅を続ける途中、
エイブラハムは神の声を聞いたと伝えられています。
神はこう告げました。
「レハ・レハ(לך־לך)自分のために行け。
生まれた土地を離れ、父母を離れ、私を信じて前に進め」
この神は、
像も形も持たない、
目に見えない存在でした。
しかしエイブラハムは、
この抽象的で不確かな存在を信じ、
保証のない未来に向かって歩き出します。
その姿勢こそが評価され、
エイブラハムは神と契約を結んだ人物――
すなわちユダヤ人の祖と位置づけられることになります。
彼の生涯は決して平坦ではありませんでしたが、
その思想と選択は子へ、孫へと受け継がれ、
やがて一つの民族と思想体系を形づくっていきました。
こうしてエイブラハムは、
「形あるもの」ではなく
「見えない価値」を信じた最初の人物として、
タルムードにその名を刻まれることになったのです。
寓話の要点──人は「見えるもの」に価値を置きすぎる
この物語が描いているのは、
宗教の正しさではありません。
描かれているのは、
人間はなぜ「形あるもの」「皆が信じているもの」を
過剰に信頼してしまうのか
という問題です。
- 目に見える
- 価格が付いている
- 多数派が支持している
これらは安心材料にはなりますが、
価値そのものを保証するものではありません。
投資に翻訳すると、何が見えてくるか

この寓話を投資の文脈に置き換えると、以下のように対応できるのではないでしょうか。
- 偶像:
流行のテーマ、語られすぎている資産、強いナラティブ - 多数派:
市場参加者、世論、SNSの空気 - エイブラハム:
「それは本当に価値があるのか」と問い続ける投資家 - レハ・レハ:
不安があっても、自分の判断で前に進む姿勢
エイブラハムは、
多数派に反対すること自体を目的にしていません。
価値の根拠を、自分の頭で考えたそれだけです。
補論|これはバリュー投資に近いのか?

ここで一つ、重要な問いが浮かびます。
このエイブラハムの姿勢は、
現代で言えば ウォーレン・バフェット などが実践してきた
バリュー投資に近いのでしょうか。
結論から言えば、
近いが、同一ではありません。
バリュー投資は、
企業価値やキャッシュフローを分析し、割安かどうかを判断する「投資手法」です。
一方、エイブラハムが行っていたのは、その前提となる思考態度。
- それは本当に価値があるのか
- なぜ人々はそれを信じているのか
- 価格の裏にある前提は正しいのか
これは数値化以前の問いです。
つまりエイブラハムは、
バリュー投資家そのものではなく、
バリュー投資家が持つべき思考の原点を体現していた存在だと考えられます。
多数派は、必ずしも正しくない
もう一つ重要なのは、
「大勢の人が賛成しているから正しいとは限らない」
という点です。
これは投資の歴史が、
何度も証明してきた事実です。
特に日本では、
- 空気を読む文化
- 同調することが安全だという感覚
こうした要因から、
多数派の判断を自分の判断に置き換えてしまう
場面が起こりやすいのかもしれません。
ただし、疑うこと自体が目的になってしまえば、
それは単なる逆張りです。
重要なのは、
論理が通っていないから疑うという姿勢です。
「変化を求めよ」と「現状維持」は本当に矛盾しないのか

──エイブラハムの寓話とインデックス投資から考える
エイブラハムの寓話を素直に読めば、
この物語は「現状維持」を明確に否定しているようにも見えます。
彼が生きていた社会では、
偶像を拝むことも、それを商売にすることも常識でした。
疑問を持たず従っていれば、生活は安定し、
家業も、社会的立場も守られたはずです。
それでもエイブラハムは、
その場所にとどまりませんでした。
理由は単純で、論理が通らなかったからです。
この意味で、この寓話は確かに
「現状維持は衰退と同じである」
「変化を求める姿勢こそが重要である」
と読めます。
一方で、投資の世界に目を向けると、
少し違った景色が見えてきます。

投資では、
長期保有やルールに基づくホールド、
さらには毎月一定額を広く分散された投資信託に投じる
いわゆるインデックス投資が、
非常に強力な戦略として知られています。
この手法は一見すると、
「何も考えずに買い続ける」
「変化を拒む現状維持」
のようにも見えます。
では、これはエイブラハムの寓話と矛盾するのでしょうか。
結論から言えば、矛盾しません。
インデックス投資は、
「何も考えていない投資」ではありません。
むしろ、
- 市場は短期的には不合理だが、長期では成長する可能性が高い
- 個人が市場平均を恒常的に上回るのは難しい
- タイミング判断は期待値を下げやすい
- 分散と時間こそが最大の武器になる
こうした前提を最初にすべて受け入れたうえで、
「その後は考え直さない」という選択をしている投資です。
つまりインデックス投資とは、
思考を放棄した現状維持ではなく、
思考を前倒しで固定した戦略的な現状維持だと言えます。

それでもなお、
「多くの投資家がインデックス投資ですら勝てない」
という事実があります。
これは、手法の欠陥ではありません。
多くの場合、問題はここにあります。
- 下落局面で積立を止めてしまう
- 成績が悪い時期に他の商品へ乗り換える
- 長期前提なのに短期の価格変動に耐えられない
つまり、
インデックス投資は簡単だが、信じ切ることが難しい
のです。
市場が将来も成長し続けるかどうかは、
誰にも断言できません。
それでも、成長する確率が高いという仮説を受け入れ、
その中で行動を変えないことが求められます。
ここで、エイブラハムの寓話と再び重なります。
エイブラハムが否定したのは、
「動かないこと」そのものではありません。
彼が拒んだのは、
疑問を抱かず、考えることをやめた状態でその場に留まり続けることでした。
エイブラハムは、
何も保証のない状況で、
自分が正しいと考えた前提を信じ、歩き続けました。
インデックス投資も同じです。
一度選んだ前提を、
都合が悪くなったからといって捨ててしまえば、その瞬間に戦略は崩れます。
この寓話が本当に教えているのは、
常に変われ、ではなく、常に考え続けよ、という姿勢
です。
問い続けた結果として、
- 動かない
- 変えない
- 同じ行動を繰り返す
という選択に至るなら、
それは思考停止ではありません。
エイブラハムの寓話と、
現代のインデックス投資は、
「考え抜いた末に信じ切る」という点で、一致しているのかもしれません。
まとめ──偶像を拝まない投資家であるために
このエイブラハムの寓話が、
投資家に投げかけている問いは明確です。
- それは、多くの人が信じているから信じていないか
- 価格や人気の裏側を、自分で考えているか
目に見えるものだけを信じない。
説明しやすい物語に流されすぎない。
抽象的な価値を軽視しない。
それは派手ではありませんが、
長く市場に残る投資家に共通する姿勢でもあります。
タルムードは投資の教科書ではありません。
しかし、人間の判断がどこで誤りやすいかを、
驚くほど正確に描いています。

本記事は、「投資×タルムード」シリーズです。
タルムードに語られる寓話を手がかりに、
投資の世界で繰り返される人間の判断や思考の癖を読み解いています。
扱うのは売買テクニックではなく、
市場に残り続けるための思考の土台です。
シリーズ第1回
ソロモン王と雀の寓話をもとに、
投資における「目立つこと」や「分不相応な成功」のリスクを考察しました。
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